朝ドラおしん を観ながら思い出したこと

再放送の朝ドラ おしん をBSで見ています。

昔の価値観、男女の役割の違い、そうだったんだろうな、と映像で見るとよくわかります。

橋田壽賀子氏の脚本なので、本当によく描かれている…気がします。いや、実際のことは、私は学問として時代背景を勉強してきたわけでもなく、話を誰かに聞く機会があったわけでもなくわからないのですが…。

ところで、私は訪問看護をしていました。

看護師という仕事でさえあまり向いていないのですが、全く、性に合わなかったのが訪問看護。

理想はあるけれど、まぁ最悪な思い出ばかりの訪問看護。私の能力と性格に問題があるのでしょうけど、2度とは御免です。

さて、その訪問看護をしていた時に当時100歳のおばあさんの訪問をしていました。

もうおおかた死んでいるでしょう。(人は致死率100パーセントなので。)生きていたら…106歳、うん、死んでるな。

そのおばあさんは、終戦間際に20歳半ば

子どもを2人抱えて旦那さんが戦死(がたいのいい人だったけど、サイパン島かな、で、餓死したんだと報されたよ、と聞きました。絵空事のような現実感のない現実が、若者がどんどん死んだのが戦争です。実際に語ってもらうと、重みを感じますよ。語る人がもうこの世にいなくなってきていますがね。)

頼る親もなく、女手一つで子どもを育て

しかも、大手企業に勤めて、私が訪問している時は企業年金と遺族年金(旦那さんが戦死してるから)でかなりの年金をもらう部類の人でした。

なので、かなりのしっかり者のおばあさん。

しかも、このおばあさん、若い頃は和裁のお店に奉公にでていたそうです。

ふーん、としか思ってなかったんですが、おしんをみて、やっとわかりました。

奉公ですね。年季奉公。小作のうちから口減らしに奉公にだされる。そこで住み込みで稼業を手伝う。

そりゃ、私がさぞかし、苦労知らずの世間知らずの看護師にみえたでしょう。

いつもお説教される。例えば左利きだと毎回言われる。親の躾がわるかったんだな、と親のことを言う。→言い返さない。話が通じないから。そうなんです、とだけ言う。

例えば、シュシュを付けて行った時。そんな見すぼらしい布切れで髪を縛って!どんな育ち方をしたんだ!それじゃ嫁にいけないぞ!と言われる。→シュシュですが何か?ハイスペ夫と結婚していますが何か?

でもって、別にね、障害を悪く言うわけじゃないんだけど

社会性に欠ける娘…在宅してて顔を合わせても挨拶もしない娘からさんがいらっしゃいますね( ̄∇ ̄)

えーっと、どういうお育て方をしたんです?

その娘、娘の子(孫)も、あなたの年金暮らしですよね?

えー、っと?

もう、何言われてもブーメランにしかならない…

けど、ブーメランするわけにもいかないので、

はい、育てが悪くて。とにこやかに聞き流すしかないわけ。

話好きのおばあさんだから、上司はおばあさんを可愛がって訪問している。

無職で主介護者の孫(男)が、まぁ、このおばあさんだから、いろいろ気に触ることを言われているのでしょう。

週一訪問する程度の私ですら、イライラし通しなのですから(笑)。

虐待疑惑がありました。時々、痣もあるんですよ。

上司は、すごく心配していたけれど、そりゃ、たたきたくもなるよね。

あんだけ言われるのに、ちゃんと介護サービスいれて、おシモの世話もサービス入る以外はやってるんだから御の字。

まぁ、一家の大黒柱ではあるけどね。

でも、おしんをみながら…

確かに、してきた苦労は私の何倍ではきかないだろう、私は甘かろう、と思いました。

でも、おしんは言っています。

今の人に、私と同じ苦労をしろったって、できやしないよ。時代が違うんだもん。

と。

私も時代が違えば苦労はできたでしょう。というかするしかなったんだから。

左利きを直さず(笑)家の手伝いもろくにさせず、私を甘やかして育てた母は、

貧乏で育ちました。高度経済成長期にも関わらず、父(私の祖父)がアル中で字も書けず車も運転できなかった…土地を切り売りして生活していた。

だから、母は小学生の頃に登校中に牛乳配達をしていた。おばは新聞配達をしていた。

ほかの子どもがそんな苦労をしない時代に苦労をして育ってきた。

でも、母は私に、あえてしなくてもいい苦労するべきではない、と思っているよう。

(畑は借りるな、野菜は買え、掃除はダスキンに頼め、など)

核家族化、社会の変化に伴い、苦労、というか問題の質も変わってはいますけれどね。

おしん、本当に面白い。(今は 髪結いとしてたかのお店にまた置いてもらい始めたあたり)

ただ、これからも苦労が絶えないのだとwikiって知っているので辛い…

コメント