宿題。でましたよ「宿題」と言う名のお粗末三点セット …来年度から本当に新学習要項する気あるの?

私が子どもころから、フツーにあった宿題。
どんぐり倶楽部では、「音読」「計算カード」「書き取り」この3つの宿題を総称して「お粗末3点セット」と、いいます。
どんぐり倶楽部では、これらの宿題をやりません。
親が代わりにやる(宿題マシーンといいます)か、先生に承諾をもらって堂々とやらないか、となります。
宿題をするにしても、個々に調整して行う。「書き取り」であればよく見てから一文字大きく丁寧に書いておしまい。「音読」は、わからない言葉がないか確認しておしまい。「計算カード」は、どんぐり倶楽部の良質な算数の文章問題をやっておしまい、という具合です。

宿題をすることの、何が悪いのか?

実のところ、私が「その悪影響を目の当たりにした」わけではなく、「理解しているのか?」というと、自信はないのですが、

解釈としては
・こなすことを目的としてしまう(手段を目的にしてしまっている)
・考えることを必要としない作業を続けることで考えないことに慣れてしまう
・ゆっくり、丁寧に、ではなく、早く、雑にしてしまう宿題である
というあたりが書かれています。

実際に、長女が小学校の授業が始まってから(宿題ではないですが、授業ではひらがなの書き取りの反復作業があります。)、どんぐり問題の絵に、文字や数式が登場し始めました。
「絵」で描けなくなってきている。
では、数式をみて頭の中でイメージできているのか?というと、そうだとは思えません。
絵を描かない=考えなくなっている、という気がしました。

そこで、絵を描こう、と修正を入れている、外遊びを増やしている、宿題はさせていない、のでそれからの絵は今まで通りかけているように思います。
しかし、まだ学校も宿題も始まったばかり。今後の影響がどうでてくるのかわかりません。

私の実感としては、もしかしたら?程度です。
しかし、どんぐりユーザーのブログなどをたどってみると、宿題で絵が「てんで」変わってしまった、という意見が散見されたこと、糸山先生のブログでも、居住環境(自然が少ない)やテレビ・ゲームよりも、宿題の影響が大きいと言われています。

どんぐり問題をやっていない家庭には、絵の変化をみられないので、「宿題ちゃんとやっててえらいわね~」くらいにしかならないのでしょう…
もしくは、「宿題やりなさいよ!」という火種になっているのか…

また、どんぐり未導入の家庭では、宿題に加えて「先生がいてくれる宿題と同じような習い事(公文など)」や「宿題よりもちょっとカラフルで面白いかもしれない教材(チャレンジや学研、ポピーなど各種)」や「宿題よりも難易度が高い家庭学習(Z会やハイレベ、最レベ)」などもやるのでしょう。

地頭の良い子なら、考える力は持っているので、演習問題をこなしていって問題ないのかもしれません。
または、生活環境が昭和初期ごろまでならば、生活の中での創意工夫があり(おしんや、三丁目の夕日を思い浮かべて考えています、程度の浅い私の知見です)考える力をその中で育てることができたので、「手習いやそろばん」や「詰め込み教育」をしても、それが学力に繋がったのかもしれません。

でも、今は…
季節の変化に対しては、ボタン一つで対処。外遊びが少なければ、衣服の調節をする回数も少ないかもしれない。
生活もボタン一つで済むことが多い。食事も季節感が失われてきている。

生活の中での創意工夫をする楽しさは消えています。

ボタン一つで簡単に手に入るゲームやテレビといった手間のかからない娯楽はありますが…

宿題、量をこなすのが良しとされる勉強、これが一律に良いのかというと疑問です。

ということで、我が家は宿題は調整しています。

実母に言わせれば、「やりたくないことはやらはくていいの?行きたくない仕事はいかなくていいの?」と疑問だそう。

学校と仕事は違う気がしますね。仕事も投げ出したいほど負担であれば然るべき手順で行かない選択をすべきだと思いますが…

夫は、「それくらい反復でもなんでもない、宿題くらいやらせろよ」と嫌悪されました。

こなすことに意味がある、ということらしいです。こなすことに意味はないと思うので、その分のエネルギーと時間は「遊び」に回します。

「遊び」だけでは、深化はない、というどんぐり倶楽部。
考える土台作りにはなるけれど、もう一歩進んだ思考や工夫には至らない。そのためには「どんぐり倶楽部の良質な算数の文章問題」をして、最後まで突き詰めてじっくりと考える力を培います。
でも、それは週1-2問やるだけでいい。

本当に、それでいいの???どうなるんでしょう???

宿題調整をして、遊び+どんぐりの、長女のテストや成績、またご報告していきますね(^人^

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